7年前の7月23日にジャーナリストの黒田清さんが亡くなった。 もう、若い人には「黒田清」というジャーナリストの名前は知らない人のほうが多くなっているのかもしれない。
1931年に大阪府で生まれ育った黒田さんは1952年に大阪読売新聞〈読売新聞大阪本社〉に入社し、大阪府警の警官汚職事件など数多くのスクープをものにし、その一方で「戦争」や「愛国心」「民主主義」などの大型連載を手がけるなど、黒田さんが率いた社会部は「黒田軍団」と呼ばれた。
一貫して反差別・反戦・反権力を訴えるが、その編集方針が右寄りに路線を変えつつあった東京本社の方針と合わなくなり、追われるように退社。87年に「黒田ジャーナル」を設立し、「読者の顔が見える新聞」として「窓友(そうゆう)新聞」を発行する。2000年7月にすい臓がんのため、死去。69歳だった。
読売の社会部長時代に黒田さんは「窓」というコラムを連載していた。 黒田さんは「窓」をこう説明している。
「〈窓〉は一般記事と違って、新聞記者が読者と直接話をするためにつくった欄でした。―むつかしい調子の論議ではなく、
私はこんなひどい目にあいました、
それはいけまへんなあ、そやけどこう考えてみはったらどうですか、
なるほどそうですなあ、
といった具合の日常の気持ちのやりとりを投げかわして、少しでもうるおいのある、幸せな生活に近づきたい、そんな目的を持った欄だったのです。
もちろん、現代社会のひずみに目をつぶって、まあよろしいがな、気楽に行きまひょやないかというのではなく、逆に、わめいても突っかかっていってもなかなかなくならない現代社会のひずみを正視しながら、その中での生き方をさぐっていくというのが、この欄のねらいでした。」
「窓」の連載が始まると読者からの手紙がぞくぞくと届けられるようになる。 そして、連載から1年間近く経ったある日に匿名の女性からある手紙が届く。この女性は結婚差別という現実にぶち当たる。結婚を阻んだものは部落差別であった。
手紙の一節
「私の心が乱れているのは、見合いの返事がショックだったのではありません。結婚にも相手にも夢はないけれど、子供が欲しいのです。ただ、その子が大きくなった時にも〈村の子〉の影をひきずるのかと思うと辛く、あわれです。そのことを考え出したら本当に泣けてきました。結婚もしていないのに、こんなことを書いています」
(黒田清・大谷昭宏「開け、心が窓ならば」より)
「〈村の子〉の影をひきずる」と言う意味は「部落民の子供として差別を受ける可能性がある」ということを指しているのだろう。
黒田さんは
「私は村の子ですと名乗って、部落差別のことを書いてきてくれた手紙はこれが初めてです。
いろいろ悲しい話を取り上げて、(窓)は心の痛みがわかる欄だ、やさしい欄だなどと言われていい気になっていたのが恥ずかしい。
こんな気持ちで生きている人たちがいるのも知らず、何が痛みがわかる欄だ、何が優しさか。
自分の顔につばをかけたい気持ちでした。」
と語っている。
この手紙は〈窓〉に掲載され、多くの読者の方から励ましや部落問題と自分がどう向き合うのかといったことが書かれていた。 詳しくは〈黒田清・大谷昭宏「開け、心が窓ならば」)を読んでください。
黒田さんは読売新聞を退社後、月刊のミニコミ新聞を発行しながら一貫して、反差別・反戦・反権力を貫いた。
既存のメディアが敬遠する部落問題や在日外国人の問題などを積極的に取り上げた。
黒田さんは、
「新聞記者の役目とはただ、おきたことを伝えるだけではない、社会に対して訴えていくことこそが本当の役目なのだ」 と語っている。
近年、部落問題に関する記事が新聞やテレビ・週刊誌を騒がせることが多くなった。 現実に存在する部落問題が語られることは歓迎すべきことだと思う。
しかし、近年の報道では部落解放を推進する運動団体の不祥事ばかりが報道され、あたかも差別など存在しないかのような報道が多数を占めているような気がする。
新聞やテレビはここぞとばかりに不祥事を取り上げるものの、現実に存在している差別に関する報道はまったくといっていいほど報道しない、掲載しない。
それなのにタテマエ論として「差別はいけないことです」とかいうことを平気で述べている。 これまで報道によってどれほどの〉差別が生産されてきたことだろうか。そのことをメディアはどれほど理解しているのだろうか?
ジャーナリストの本田靖春は
「差別問題は、下世話でいえば、触らぬ神にたたりなし、というかたちで、紙面において、「差別されてきた。いわれのない差別がなかなか解消に向かわない1つの原因は、新聞のそうした姿勢にある、というのが私の考えである」
と著書の中で記している。
今あらためて、黒田さんの「 社会に対して訴えていくこと 」という言葉の意味が重要になっていると思う。
それは新聞記者やジャーナリストのみならず、個人個人がどう社会と向き合って生きていくのかという覚悟を突きつけられていることではないだろうか。
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